ベトナム子ども基金


ベトナム子ども基金里親募集ポスター
里親募集ポスター
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ベトナムの子どもたちを支援しています
ベトナムの子どもたち
グエン・ドク・ホゥエさん
ベトナム青葉奨学会
東遊(ドンズー)の意味
 ベトナムの子どもたちを支援しています
「ベトナム子ども基金」は、ベトナムの子どもたちの教育支援を目的として活動しているNGOです。当基金は日本で募金し、ベトナム国内でグエン・ドク・ホゥエさん(ホーチミン市にある「東遊(ドンズー)日本語学校」設立者)が進めている「ベトナム青葉奨学会」を通 し、奨学金として子どもたちに支給されています。また、募金の一部は学校建設などの資金となりベトナムの教育環境整備に貢献しています。
「ベトナム子ども基金」は、元日本留学生のホゥエさんの呼びかけにより1995年から活動を始め今年で11年目となりました。昨年は10周年記念事業として「黄梅奨学基金」を新たに始めました。目に見える、感じることのできる海外教育支援です(特定されたベトナムの子どもの里親になり、その子の成長を見守ることができます。ベトナムに小さい家族がひとりできたと思ってください)。*孤児などを養育する「里親」という意味ではありません。教育資金を援助する「教育里親」です。
たくさんの皆さまのご支援、心からありがとう…そして、もっともっと「支える人(里親)」募集中です。
 ベトナムの子どもたち
ベトナムが平和を回復してから30年以上の歳月がたちました。「ドイモイ(刷新)」と呼ばれる開放政策が軌道に乗り経済・社会に大きな変化がありました。海外からの企業や旅行者も増え都市部の急激な発展には目を見張るものがあります。ベトナムは日本人にも人気の旅行地となり、美しく華やかな写真を掲載した雑誌や旅行パンフを目にすることも多いと思います。しかしながら、一見豊かになったように感じるベトナム社会ですが、まだまだ困難な状況に置かれています。貧しさは子どもたちの教育まで脅かしており、学校教育を受ける機会さえ奪われている子どもたちが数多くいます。わずかな学費が払えないために学校に行けない、家計を助けるために学校に行かずに働いている…ベトナムにはこのような子どもたちがたくさんいることを知ってください。
子どもたちは教育を受けて成長することが必要です。それは貧困から抜けだし自立した人間らしい生活を築くための基礎となります。
 グエン・ドク・ホゥエさん
1959年、当時の南ベトナム、サイゴン(現在のホーチミン)から日本の国費留学生として来日、京都大学・東京大学大学院で物理学を学びました。その後、ベトナム戦争が激化し学業を続 けることが困難になった後輩たちのために自立と相互扶助を目指す宿舎「東遊(ドンズー)学舎」を設立・主宰し、多くのベトナム留学生を支えました。1974年、15年に及ぶ日本での生活を終え戦火の祖国に帰国しましたが、戦争終結(1975年4月)後、長く続いた戦争で立ち遅れてしまったベトナムに日本の科学技術を導入したいと考え、人材養成を目的とした「東遊日本語学校」を創立しました。さらに、この学校を拠点として困難な環境の中でも向学心を持ち続けている子どもたちに就学の機会を与えようと開設したのが「ベトナム青葉奨学会」です。祖国ベトナムの真の発展と社会への実質的な貢献ができる道を求め現在も活動中です。
 ベトナム青葉奨学会
1991年グエン・ドク・ホゥエさんが設立。当初ホーチミン市と周辺の数人の子どもたちを対象に奨学金の給付を始めました。現在はベトナム全土にわたり小学校から高校まで数多くの子どもたちに奨学金を支給できるようになりました。
日本では、「ベトナム子ども基金」のほかに「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」、「北陸ベトナム友好交協会」が同じくベトナム青葉奨学会に支援協力をしています。

 東遊(ドンズー)の意味
ホゥエさんが設立した「東遊学舎」や「東遊日本語学校」という名前の由来には、日本とベトナムの知られざる歴史的な結びつきや祖国に対する深い思いがあります。
19世紀後半、フランスの植民地だったベトナムでは、「民族独立」のため武力蜂起を繰り返しては敗れ多くの人々が亡くなりました。20世紀初頭、ベトナムの愛国者ファン・ボイ・チャウは、独立運動の若い指導者を日本で育てようと「東遊運動」(東方=日本に学ぶ運動)を起こしました。当時、日露戦争に勝利した日本はベトナムにとって輝かしい民族独立のシンボルだったのです。彼は同志を募り、広く民衆から基金を集め、優れた青年たちを日本に送りました。自らも日本に渡り奔走して、人生を民族独立に捧げました。
ホゥエさんは、百年近く前に先達が志した民族の思いを幾分でも受け継ぎたいと考え「東遊」という言葉を名前に用いたそうです。
さて、民族の悲願を背負って日本にやってきたベトナムの若者たちが、日本でたどった結末を知る日本人はほとんどいないでしょう。1907年「日仏協定」を結んだフランスは、さっそく「東遊運動」に参加し日本で学んでいた約200名のベトナム人留学生の引渡しを求めます。日本はその要求には応じなかったものの、1909年には全員を国外に追放して しまったと歴史は記しています。そのような史実には少しも触れず、ホゥエさんは情熱を込めて再びベトナム同胞に日本との提携を説き、私たち日本人に同行を呼びかけているのです。
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